ブレスト-リトウスクの橋のうえで

「三人がこの橋を渡るのを拒否した。すなわち、ブロッホという名のハンガリー系ユダヤ人と、ナチに有罪判決を受けた共産主義者の労働者と、名前は忘れたが、ドイツ人教師だった。ナチとSS(ナチの親衛隊員)の怒りはただちにユダヤ人にたいして行使された。われわれは列車に乗り換えさせられ、ルブリンに連れて行かれた。(・・・)ルブリンで、われわれはゲスタポに引き渡された。その時である、ただわれわれだけがゲスタポにひきわたされたのではなく、NKVDがわれわれにかんする書類をもSSに渡したことを確認したのは。こうして、たとえば、私の書類には、さらに、私がノイマンの妻であり、ノイマンはドイツのナチから最も憎まれているドイツ人の一人だ・・・と書かれていたわけである」<マルガレーテ・ブーハー=ノイマン「レ・レットル・フランセーズ」にたいするクラフシェンコの裁判での証言、第14回公判、1949年2月23日の速記録より>

ドイツ人共産主義者と同時にテロルに捕らえられた者として、多くがポーランドから移住したパレスチナ共産党(PCP)の幹部がいました。多くの活動家は逮捕、処刑され、あるいは収容所の中で姿を消しました。パレスチナ共産党メンバーや、ソ連に来た社会主義者=シオニスト・グループを絶滅させようとした系統的政策は、ユダヤ人の自治州であるビロビジャンの創設とともに続けられたユダヤ人少数民族にたいするソビエト政策と関連づけて考えられるべきです。なぜなら、自治州の責任者はすべて告発を受けたからです。ビロビジャン行政委員会議長のヨーシフ・リベルベルク教授は「人民の敵」として弾劾され、サムイル・アウグルスキーはユダヤ=ファシスト・センターに属しているとして告発されたのです。ボリシェヴィキ党のユダヤ人支部全体が解体されました。狙われていた目標は、ソビエト国家が同時に、ソ連外でのユダヤ人士の支援を得ようとしながら、ユダヤ人諸制度の破壊だったのです。

参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第一部 世界革命・内戦・テロル
第一章 行動に移ったコミンテルン
共産党内部のテロル
ブレスト-リトウスクの橋のうえで

ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドがどこが違うのか?

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