クトー・プローチフ?2

フランスではフランス共産党(PCF)の指導者の一人ボリス・スーヴァリヌが新路線に反対。トロイカ(カーメネフとジノーヴィエフとスターリン)が敵対者であるレオン・トロツキーに対して用いた下劣な手法を弾劾しました。ソ連共産党(PCUS)第13回大会の際、ボリス・スーヴァリヌは召還されます。強制的自己批判集会の様相を示す非難の場となり、委員会は彼の一時的除名を宣言しました。

これに対するフランス共産党指導部の反応は「フランス・ボリシェヴィキの鉄のような匿名軍団が形成されるであろう、党が共産主義インターナショナルにふさわしくあろうとすれば、また、ロシア党の光栄ある道に従おうとするならば、フランス共産党は、党内にあって、その法に従うことを拒もうとする全ての者を容赦なく打ち倒すべきである!」と以後の世界党の隊列がどのような精神状態を求められているかを示していました。また、サンジカリストのピエール・モナトは共産党の「軍事化」と一言で要約しまたのです。

1924年夏、コミンテルン第5回大会においてジノーヴィエフは共産党主義運動に浸透しつつあった政治的風俗ををみごとに表現して反対派を威嚇しましたが、それが仇となってしましました。翌年以降コミンテルン委員長の職務から解任されたのです。ジノーヴィエフはブハーリンに取って代わられましたが、やがて、そのブハーリンも同じ結果となったのです。

1928年7月11日、コミンテルン第6回大会の直前、カーメネフは密かにブハーリンに会いました。ブハーリンは電話が盗聴されていることと、GPUに尾行されていることを説明しました。「彼はわれわれの首を絞めるだろう・・・われわれは分裂をもたらすことはできまい。というのは、そうすれば、首を絞められてしまうだろうから。」「彼」とはいうまでもなくスターリンのことです。

参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第一部 世界革命・内戦・テロル
第一章 行動に移ったコミンテルン
コミンテルン内部における独裁・反対派の犯罪者扱い・弾圧
”クトー・プローチフ?”(「反対の者はいるか?」)

ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドがどこが違うのか?

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