ハンガリー(続き)
革命的にボランティアからなる新しい軍隊を組織され、「レーニンの息子たち」の名で知られるようになりました。「レーニンの息子たち」は元船員だったチェルニー・ヨージェフに服従しており、クーン・ベラとは対照的に、最も過激な共産党指導者サムエリ・ティボルに接近しました。クーン・ベラは「レーニンの息子たち」を解散させ、反発したチェルニーとの交渉の結果、後者の手の者は軍隊へと合流することを選択しました。
サムエリ・ティボルはハンガリー赤軍によって占拠されたソルノクの町に行き敵とみなされたルーマニア人との強力で非難されるベキ名士を数多く処刑しました。赤軍指導者はサムエリのテロルを抑えようと試みた様ですが、彼はハンガリー中をまわり、集団化に従わない農民達を絞首刑に処しました。
反対勢力の増大とルーマニア部隊を相手にした軍事情勢の悪化を受け、革命政府はついに反ユダヤ主義を利用します。「プロレタリアート独裁の神聖な大義のために生命を捨てたくないというなら、彼らを皆殺しにせよ!」クーン・ベラは、食料補給にやってきた5000名のポーランド系ユダヤ人を一網打尽にし財産を没収し、追放したのです。
チェルニーは「レーニンの息子たち」を再組織しようと試み、7月半ばに再徴収を公式紙に掲載しましたが、翌日には公式に否定する文章が公表されました。1919年8月1日、クーン・ベラはイタリア軍事使節団に保護されながらブダペストを離れ、1920年夏にはロシアへと亡命しました。ロシアにつくと直ちに、南方戦線における赤軍政治委員に任命され、降伏してきた白軍の将校たちを処刑させて、名をあげました。一方のサムエリはオーストリアに逃げようとしましたが、2日に逮捕され、自殺しました。
次回は「コミンテルンと内戦」です。
共産主義黒書 ソ連編 はこちら→流水成道
参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第一部 世界革命・内戦・テロル
第一章 行動に移ったコミンテルン
ヨーロッパにおける革命
ハンガリー
2010年1月 8日 00:00 | カテゴリー: ALL 共産主義黒書 コミンテルン・アジア篇

コメントの投稿