ハンガリー
連合国との戦争に敗北したハンガリーにとってトランシルヴァニアの強制割譲は承認し難かった。これによりハンガリーは、ボリシェヴィキが革命を輸出した最初の国となったのです。
1918年初頭からボリシェヴィキはモスクワに外国人共産党主義者グループ連合を結集させており、1918年10月以降、その中のハンガリー人グループをハンガリーへ送りました。11月にはハンガリー共産党(PCH)が創設され、クーン・ベラが指導者となりました。ボリシェヴィキの提供する財政支援を受け、ハンガリー共産主義者はプロバガンダを発展させ、影響力を強化しました。1919年2月ボリシェヴィキに反対だった社会民主党の公式紙、は共産主義者に動員された失業者と兵士の群れに襲われました。目的は新聞の支配権を握るか、印刷所の破壊にあったのです。
クーン・ベラとそのスタッフは逮捕されましたが、ベラは行動を続行することができ、さらに状況を転覆させることもできたのです。獄中にありながら、ハンガリー共産党と社会民主党の合同を成し遂げたのです。カーロイ大統領は辞任し,評議会共和国の創設、共産主義者の釈放、さらにボリシェヴィキ・モデルに従った革命統治評議会の組織が開かれたのです。ハンガリー・ソビエト(トナーチ)共和国は1919年3月21日から8月1日まで、133日続いたのでした。
クーン・ベラから世界プロレタリアアートの指導者として挨拶されたレーニンは、社会民主主義者と「プチ・ブルジョア」を銃殺するように勧告。「この(プロレタリアート)独裁は、搾取者、資本家、大地主とその手先の抵抗を粉砕するために、迅速で断固とした容赦ない暴力の行使を前提とする。このことを理解しない者は誰も革命家ではない」としてテロルの行使を正当化しています。
次回は「ハンガリー(続き)」です。
共産主義黒書 ソ連編 はこちら→流水成道
参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第一部 世界革命・内戦・テロル
第一章 行動に移ったコミンテルン
ヨーロッパにおける革命
ハンガリー
2010年1月 7日 00:00 | カテゴリー: ALL 共産主義黒書 コミンテルン・アジア篇

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